家事ってやるだけ損。やって当たり前って思われているから評価もされなければ、一日中働いているのに会社から給料をもらえるみたいに報酬があるわけじゃないし。毎日毎日同じことの繰り返しで、やる気でないでしょ。
家事を毎日やっていると、こんな風に思っちゃいますよね。一日ずっと家事をしていて「もう疲れた」って思いながらも、なんとかがんばって晩ごはんを作ったのに「美味しい」の一言もないと、「ウキーッ!」ってなります。なりません?
でも、きっと家事をやる意義ってあるはず。家事のやりがいってあるはず。
今回はそんなお話です。
本記事の内容
- 家事ってなんのため?
- 家事ってむずかし過ぎない?
- 家事ってなぜ評価されない?
- まとめ:家事はみんなを幸せにする
今回の内容は、家事へのモチベーションをアップさせよう!です。
家事ってどうしてもネガティブな印象がありますよね
巷にあふれる家事の話題も、夫(あるいは妻)の家事への理解のなさを嘆く内容をはじめ、家事をストレスに感じているものがほとんどです。
中には時短家事のように、家事をポジティブにやろうみたいなものもありますが、あれも根底には「家事ってめんどくさい」っていうネガティブさが見えますから、いずれにしても家事に対する評価というのは、日ごろ家事をする人、任せっぱなしの人、どちらからも低いというのが現状のようです。
「家事は女性がするもの」という固定観念が未だに多くのストレスを生み出していますが、家事を無償労働というくくりにしてしまったことも、現在の家事に対する評価の低さの遠因だと思います。
でも、家事って本当にそれだけの評価しか得られないものでしょうか?
目次
家事ってなんのため?
家事の本当の価値を知るために、まず家事をやる意義を考えてみましょう。
家事とは疲れを癒すこと
家事は一日の疲れを癒すことができます。
物が散らかっている家に帰ってくるより、整理整頓された家の方が休まります。
疲れて帰ってきても美味しい料理を食べれば、満腹感と幸せでいっぱいです。
一日汗をかいて帰ってきた時にすぐにお風呂に入ることができたら、どれだけうれしいことでしょう。
家事は自分を、そして家に帰ってくる家族の疲れを癒してあげることができます。
「でも、ご飯をがんばって作っても美味しいなんて言われないし、掃除しても気づかれないし、玄関に飾った花もスル―されるし」
家事のあるあるですよね。
でもそれを解決する方法はあります。
「ご飯を食べて美味しかったら『美味しい』って言ってね」
「部屋、散らかってないでしょ。毎日私が掃除して整理整頓しているからだっていうこと、わかっている?」
「玄関の花、気づかなかった?気づいたらちゃんと伝えて。その方がうれしいんだよ」
こんな風に、家事をしたことをちゃんとアピールするとともに、リアクションの方法を伝えることが一番です。
家事に対する感謝の気持ちがない、またはあっても伝えないのは、そういう教育(しつけといってもいいかもしれません)をしていない&されていないからです。
あいさつだって、家庭はもちろん保育園や幼稚園、学校でも口酸っぱく言われるから身についていきます。
家事は、親が当たり前のようにやってくれていたという人が多いと思います。
誕生日やクリスマスとは異なり、毎日のことですから特別感もありません。
日本人は、「やって当たり前のことをひけらかさない」態度を美徳と考えがちです。
でも、当たり前だと思ってやることと、やってもらった方がそれを当たり前だと思うことは全く意味が異なります。
「家事をやってもやっても感謝されない!」って思ったら、ぜひあなたの家族に家事への感謝を口に出して伝えることの大切さを教えてあげてください。
きっとみんなが家事をすることの大変さ、家事をやってもらうことの特別感を理解してくれるようになると思います。
残念ながら、それが当たり前になるのはもう少し後の世代になりそうですが、種をまかない限り花は咲きません。
家事がどれだけ大変で大切か、その価値を理解している私たちから始めてみましょう。
家事とは準備すること
家事とは準備です。
これから起こることに備えることができます。
次に着る時や使う時のために衣類やタオルを洗濯し、
翌週からキレイな状態で履いてもらうために、週末に子どもの上履きを洗い、
いつなくなっても大丈夫なように、ティッシュペーパーや調味料をストックしておく。
何を準備しておいたかを把握することも大切です。
同じものがムダにたくさんあったら置き場所に困りますし、トイレットペーパーとかならまだしも傷むような食材だと料理をする自分が大変です。
子どもの服を買うのも一苦労。成長が早い時期だと
「あれ今の身長って何センチ?」
「靴小さいって言っていたけど、サイズいくつだっけ?」
なんてことにならないように、子どものサイズは覚えておく必要があります。
いつ、買い物先で子ども服が安くなっているかわかりませんからね。
今ならスマホのアプリなどを使って管理できるので、頭で覚えるか紙で都度メモするしかなかった時代に比べれば楽かもしれませんが、それでも面倒なことには変わりありません。
でも、その準備があるからこそ、明日がいつも通りの今日となって一日を過ごすことができます。
朝起きて、自分にも家族にもいつも通りの日常が訪れたら、それは家事の準備力のおかげなのです。
家事とは生活すること
家事によって一日がはじまり、家事によって一日の疲れが癒される。
家事とはつまり、生活することです。
あなたがやる家事のひとつ一つが、あなたや家族の日常をかたち作ります。
子どもにとって、あなたがかたち作った日常は、自分の家のスタイルとして暮らし方の「正解」になります。
将来、結婚する時や結婚した後にお互いが持つ「正解」のギャップが原因でうまくいかなるなんてことはよく聞く話です。
私は、昭和初期に生まれた父や、大正初期に生まれた祖父でさえ当たり前のように台所に立つ姿を見て育ちました。
当然、私も子どもの頃から当たり前のように料理を教えてもらい、当たり前のように洗濯などもおぼえましたが、それが世間一般では少数派であると知った時は驚きました。
でも自分が少数派だと知ったからと言って、多数派に染まることはしませんでした。
なぜなら、家事をするのが自分にとっての「正解」だったからです。
結婚した後も、共働きをしながら妻と家事を分担していますし、二人の息子も当たり前のように台所に立ちます。
この「正解」が唯一無二とは思いませんが、夫婦のギャップにならなかったことは感謝しています。
家事にはそれだけの影響力があります。
家事とは、その人の人生の源なのです。
家事ってなんのため?
- 家事をすることで、自分や家族の一日の疲れを癒すことができる
- 家事をすることで、自分や家族の明日の準備を整えることができる。
- 家事をすることで、自分や家族がいつもと同じ日常をおくることができる。
家事ってむずかし過ぎない?
次に、家事のやりがいについて考えてみましょう。
家事はスキルの宝石箱
「宝石箱やー」なんてのんきに言っていられないほど、家事で求められるスキルは多彩です。
料理・掃除・洗濯・整理整頓・家計のやりくりなんていう名のある家事のほか、お子さんがいれば育児も加わります。
育児には予測力と即時対応力が必要です。さらに乳幼児から義務教育課程に成長していくに連れて、親に求められるスキルはどんどん変わっていきますから、育児だけでも一大事業です。
料理ひとつとっても、メニューを考えて、買い物をして、食卓の準備をして、料理をしたら盛り付けて、食後にお皿やフライパンなどを洗って元の場所にしまうまでが「料理という家事」です。
メニューを考えるという、「料理という家事」の中の一つの工程だけでも、冷蔵庫の中にある食材の確認や調味料のストックの有無など名もない家事が目白押しです。
料理だけでもまだまだありますし、洗濯や掃除に求められるスキルまであげようと思ったら、途方もない量です。
家での暮らしが日常だとしたら、非日常の暮らしの代表がホテルや旅館での宿泊です。
そのホテルや旅館では調理部、購買部、サービス部、総務部、経理部など専門分野に分かれているものを、家事では一人でやるわけです。
数百から数千のお客様をもてなすのとは規模や必要なスキルのクオリティに違いはあるものの、求められるスキルが多いことに変わりありません。
家事をやる、家事をこなすというのは、とても大変なことなのです。
だからと言って、それらのスキルを全て身につける必要はありません。
身につけた方が何かと役に立つとは思いますが、いつも利用するスーパーの総菜コーナーには何があるか?、買い物に行けない時に便利な個人宅配サービスはないか?、任せて安心な掃除代行サービスはどこ?など、自分の助けになる外部サービスを活用することで補うことができるからです。
家事に求められる多すぎるスキルを身につけようとがんばり過ぎると、自分自身がパンクしてしまいます。
それよりも、自分のスキルや時間的・精神的余裕をふまえた上で「この家事は自分がやる」「この家事は外部サービスを活用する」ということを判断して、日々の家事を滞りなく進めるスキルこそ、家事に一番重要だと思います。
自分が身につけたスキルを使うこともあれば、世の中にあふれる家事を助けてくれるさまざまなサービスを利用することもある。
家事に必要なのは、スキルではなく選択肢がたくさん入った宝石箱なのです。
家事は究極のマルチタスク
家事はマルチタスクで進めていかないと時間がどれだけあっても足りません。
選択肢がたくさん入った宝石箱を持っていても安心できないのが、家事の厄介なところです。
会社でも、自分でコントロールしてマルチタスクにしたものと、結果的にマルチタスクになってしまったものでは作業効率が全然違いますよね。
家事も一緒です。
毎日同じことをやるだけでも大変なのに、今日は銀行に行かないと、クリーニングを出しに行かないと、というように行動範囲が広がる日もあります。
外出する時は、そのタイミングでできる買い物なども一度に済ませないと、あっという間に時間がなくなります。
子どもの送り迎えなんて時間のロスは覚悟の上。そのロスをどれだけ縮められるかが勝負です。
ホテルや旅館であれば、それぞれの部門が遂行するタスクを、シフト交代もせずにひとりで同時進行でこなすなんて、よくよく考えればハード過ぎますね。
一日が24時間から増えることがないのであれば、寝る時間だけは別カウントにしてって思うことも多々あります。
小さい子どもがいる場合は、マルチタスクに拍車がかかりますし、まさにてんてこ舞いです。
我が家は夫婦で家事も育児も分担していますが、子どもを保育園に通わせていた時は本当に大変でした。
二人でこんなに大変なのに、ワンオペでやっている人ってどれだけスゴいの?
いや、うちら夫婦ができなさ過ぎなの?ってホントに悩みました。
世の中にあふれるさまざまなサービスで、頼れるものは頼りましょう。
便利グッズでも時短家電でも、使えるものは使いましょう。
どんなにやりがいがあっても、ひとりでできることに限界はあります。
家事ほどハードな仕事はないと思います。
家事はわかる人にしかわからない
残念ながら、家事ができる人にしか、家事がどれだけ大変なのか、どれだけスゴいことをやっているかはわかりません。
家事をやらない人にとって、その多くは自分の目に触れない場所と時間に行われています。
会社で働いている時に、「あ、この時間なら洗濯物を干し始めるころかな?」なんて想像ができるのは、家事ができる人だけです。
そして、家事には素人でもわかるような「世界記録達成!」「逆転サヨナラホームラン!」みたいな瞬間はありません。
いつもと同じように食卓には料理が並び、タンスを開ければ靴下があり、一日の疲れと汚れを落とそうと思えばお風呂が沸いています。
「あれ、今日は用事があって出かけるって言っていたのに、いつの間に晩ごはんの準備をしていたんだろう?」とか
「穴が開きそうになっていた靴下が、全部新しくなっている」とか
「シャンプーの替え、買ってきたんだ」なんていうことに気づき、その大変さを理解して「やってくれてありがとうね」と言葉にしてくれる人は多くありません。
まだあると思っていた花粉症の薬のストックがなくて焦っている時に「買ってきてあるよ」なんて言われた日には、間違いなく逆転サヨナラホームランくらいの喜びと感謝を伝えてあげるべきだと思いますが。
学校に授業参観日があったり、会社には職場体験なんていう機会があるように、家事参観日や家事体験を作って、家事に対する理解を深めてもらうしかないかもしれません。
え?休日に家にいれば見られるだろうって?
同じ家にいても、家事に対する意識がないと何も目に入らなければ記憶にも残りません。
それに、一日同じ家にいるだけで家事の大変さが伝わるなら、とっくに家事の地位は向上しているはずです。
やはり、面倒でも種をまきましょう。それもたくさん。
たくさんまけば、それだけ花をつける確率も高くなります。
家事ってむずかし過ぎない?
- 家事に求められるスキルは多種多様だが、最も重要なのは家事を滞りなく進められるように、たくさんの選択肢を持つこと。
- 家事はマルチタスクが求められるが、ひとりでやる必要はない。さまざまなサービスや便利グッズを有効活用するべき。
- 家事を理解してもらうには、やっているところを見てもらい、大変さを言葉で伝える必要がある。
家事ってなぜ評価されない?
家事はやる意義もやりがいもありますが、その苦労に対する評価が伴っていないのが辛いところです。
評価されない理由はなんでしょうか?
家事は誰でもできるという誤解
「うちの親は普通にやっていたよ」
「みんなやっていることでしょ」
家事をこんな風に考えているとしたら、意識が低すぎて悲しくなりますね。
これまでも解説してきたように、家事は簡単で単純な仕事ではありません。
会社であれば複数の部門に分かれるようなことをひとりでこなします。
当然、向き不向きはあります。
女性だからできるわけではありませんし、勤め先では有能な人でも、家事に向いているとは限りません。
それでも多くの人がストレスを感じながらも家事をしているのは、それが自分はもちろん家族のためになるからです。
家事をする人が多くなれば、向き不向きを補うことができる確率は高くなります。
何度も言いますが、頼れるものには頼りましょう。使えるものは使いましょう。
そして任せられる人を育てましょう。
誰でもできることをやっているのではありません。
誰がやってもむずかしいことをやっているのです。
家事は無償労働という誤解
家事が無償労働であることに間違いはありません。
でも、無償か有償かというくくりで判断することがそもそもおかしいのです。
労働に対する対価が給与などの金銭が主となる有償労働とは違い、家事をすることの対価は自分や家族が暮らしやすくなることです。
金銭的な豊かさではなく、暮らしの豊かさです。
求めるものが違うのに、給与が支払われないからという理由で無償労働の代表例として家事が真っ先にあげられることに違和感があります。
家事に無償労働というレッテルをはることで、家事にまだ携わっていない人や携わろうとしない人が「割に合わない」という印象を抱き、家事に対する評価を下げることにつながっています。
もし、家事が有償労働だとしたら、報酬を払い続けられる人や家庭がどれだけいるでしょうか?
有償労働ができるのは、日々の暮らしを家事が支えているからだということを、もっと多くの人が認識するべきです。
家事は達成感がないという誤解
家事は達成感がないということもよく言われます。
生きている限り家事は続きますから、区切りがありません。
満腹は空腹の始まりであり、整頓はやがて乱雑に変わります。
汚すまでの時間と、キレイにするまでの時間を天秤にかけたら、掃除や洗濯をする意味があるのかと愚痴りたくもなります。
それでも、美味しい料理で満腹になった時、整頓された部屋で勉強する時、そしてフワフワのタオルで洗った顔を拭いた時の爽快感がなくなってもいいと思う人はいないでしょう。
自分のための家事では味わうことができる達成感も、家族のための家事では味わうことはできません。
でもあなたの家事のおかげで、家族が幸せな気持ちになる瞬間がたくさん生まれます。
幸せな気持ちは家事の数だけ生まれます。そして家族の数が掛け算されます。
それは少ない数ではないはずです。
家事は達成感がないかもしれません。
でも、けっしてムダにはなっていません。
家事ってなぜ評価されない?
- 家事は誰でもできるという先入観を持つ人は、苦手でも家族の幸せのためにがんばって家事をやっている人がいることに気づかない。
- 家事は無償労働だが、対価の本質は家族の暮らしを豊かにすること。金銭的な報酬の有無で家事を評価すべきではない。
- 家事は達成感が得られにくいが、家事の数だけ生まれた幸せな気持ちに、家族の数が掛け算されるため、たくさんの幸せにつながる。
まとめ:家事はみんなを幸せにする
家事はとても評価されにくいものです。
家事をする人にとっても、家事をしてもらう人にとっても評価しにくいものです。
もしかしたら、自分でやることや家族の中の決まった誰かがやることが当たり前すぎて、評価という行為すらしていないかもしれません。
家事という重労働で終わりのない仕事はもっと評価されるべきです。
でも、あなた自身はもちろん、家族の誰かが家事をしてくれた時は、評価ではなく感謝をしましょう。
お腹がいっぱいになったこと、部屋が整頓されてうれしいこと、タオルがフワフワで気持ちいいこと。
幸せな気持ちを伝えれば、家事をしてくれた人の気持ちも幸せになります。
家事をやるのが当たり前なら、感謝の気持ちを伝えることも当たり前にしましょう。
無償労働という間違った価値を押し付けるのをやめるべきです。
家事をやる対価として、日々の暮らしの豊かさに加えて感謝の気持ちを伝えられることは、けっして贅沢な報酬ではないです。
今回は以上です。